Nobuto Osakabe Photographer

vol.10 いろいろ

「俺、色盲だから色があんまりわからないんだよね。」
高校生の頃、友人がふとした時に発した言葉。
僕は「色盲」という言葉の意味すら知らず、「へぇ〜」って応えていたけど、意味がわかりとても驚いた。
それまでの僕は、「みんな同じように世界が見えていて、僕の見えている世界を当たり前のようにみんな見えている」と単純に思っていた。「色盲」「色弱」という言い方は、今では「色覚特性」と言われていて、世界にはおよそ2億5000万人が存在するといわれている。僕の友人は赤系の色が判断しにくいらしく、BBQをする時、お肉がよく焼けているのかあまりわからないようだ。赤系はグレーに見えていて、グレーの濃度で色を判断しているらしい。そんなことがあるなんて本当に考えたことがなかった。

大学の頃に海外の絵本を読む機会があり、太陽の色を「黄色」で描いてあった。「緯度」や「瞳のメラニン色素の違い」などの理由で、国によって自然界の色みが違うという話を聞いて、色盲の話を聞いたときくらい驚いた。国の文化や歴史によっても、色のイメージが違う。海外の写真家の作品は、独特な色味だなと感じることが多いけどそれも本人の色の見え方なのかもしれない。

最近、息子が明らかに色を認識していることに気づいた。もともと認識はしていたのかもしれないが、それを表現することはなかった。目が見えることは生まれてすぐに判断できていたけれど、色のことは考えたことがなかった。色のついたマグネットを同じ色で重ねる遊びをよくしている。思えば、ブドウが好きな彼は紫色の丸をよく「ぶ〜(ブドウのこと)」といっていた。普通にブドウだね〜って応えていたけど、すでに彼は紫色を認識していて他の色と区別していたんだと思う。

僕は仕事柄、色のことをよく考える。
人によって色の見え方が違うのは、とても興味深く思う。
僕の見えている色が、みんな同じように見ているとは限らないと考えたら、より真剣に丁寧に色の表現にこだわりたくなる。僕の当たり前は、他の人の当たり前ではないから、慎重に自分の感じている色を表現したいと思う。

色のことに限らず、ほとんどのことで人それぞれ違う。
見た目も、生い立ちも、国籍も、個々の能力も。
自分が思っていること、感じていることが「みんなも同じ」と思うことは全く違うと思う。
自分とは違う考えの人がいて当然だし、違っているからおもしろい。

豊かな表現があるということは、とても特別で尊いことだと思う。