Nobuto Osakabe Photographer

vol.19 頭のなかの地図

方向音痴じゃない人のことをなんて呼ぶんだろう。
方向音痴の対義語を調べてみても、そもそも音痴という言葉の対義語がない。だから方向音痴の反対は、方向感覚に優れている人くらいしか言いようがない。勝手に言葉を作ってしまうとしたら『位置情報正確人』って感じなのかな。

ちなみに僕は『位置情報正確人』だと思う。今、自分がどのあたりにいるかを頭のなかの地図アプリが常に位置を表示して、どちらの方向に行けば〇〇があるとかだいたい把握しながら行動している。だから道に迷うって経験がほとんどない。旅先でも、最初に地図を頭の中に入れておけば目的地までスムーズに辿りつけるし、たとえ地図を見なくてもちゃんと戻ってくることができる。学生時代に友人たちと車で日光にいった時、美味しそうなラーメン屋を情報誌で見つけたので、道すがら立ち寄った。あっさりとした醤油ベースのスープに青竹打ちの麺。すごく繊細な上品な味だった。それから数年後、たまたま同じ場所を訪れる機会があり、「あのお店にまた行きたい」と思い、店名すら覚えていなかった店に勘だけでたどり着くことができた。自分でもいけると思わなかったので自分の能力に少し驚いた。でもラーメンの味は特別美味しいわけではなく、なぜか普通の味だった。

そもそも『位置情報正確人』はどのようにして出来上がるのだろう。生まれ持った才能なのか。育ってきた環境の中で鍛えられていったものなのか。誰かに教わった覚えもない。ちなみに僕の妻は、かなり強めの方向音痴。一緒に車で走っていても「ここの近くにあのお店あるよね?」とか、初めて通る道で「この道通ったことある??」とか全くかすりもしない場所のことを平気な顔をして言ってくる。運転もしていないし、車内で子供をあやしながらではあるが本当に全く違う場所なのでいつもびっくりしてしまう。

はたして、僕は『位置情報正確人』にいつなったのだろうか。一人でいろんなところに旅するようになって、必然的に本能が目覚めたのか。旅先では、ホテルの場所であったり、目的地や目的地までの経路など把握しておかなくてはいけないことが格段に増える。毎回地図を出して確認する手間を省くために、頭が進化したのか。太陽の位置で方角を判断したり、目印になるものを作り自分のいる場所を確認する。この繰り返しにより、頭のなかの地図作りが癖になっていったところもあるのだろう。

この文章を書きながら今わかったことがある。僕が自分の位置を常に把握している理由は、帰り道をちゃんと覚えておこうとしているのだと思う。目的地に辿り着くことを考えながら、無意識に帰りの道までも記憶している。これは遺伝子に組み込まれた本能なのかもしれない。

外出自粛中とはいえ、子どもがずっと家にいるのは精神的によくないので、気分転換がてら息子と散歩することが増えた。まだ2歳なので家からそんなに遠くない場所にしかいけないけど、息子が『位置情報正確人』の片鱗を少しだけ見せてきている。おやつを食べる公園や大きいどんぐりがたくさん拾える公園、大好きなパン屋さん、ぶどうジュースを買うセブンイレブン、りんごジュースを買う自動販売機、犬や猫がいるペットショップのあるホームセンター、お菓子がたくさん並んでいる西友。彼の頭のなかには少しずつ地図が出来上がってきている。ちゃんと家から目的地への道を把握しているし、帰り道も息子の方から道を指示して教えてくれる。
彼はどうやって道を覚えているんだろうか。
何かを目印にして位置を把握しているんだろうか。
それとも全く違う把握の仕方があるのか。
話を聞いてみたいが、それができるのはまだ数年後かな。