目が覚めて時計を見たら、あと数分で5:00になるところだった。まだ起きるには少し早いと思い、2度寝をした。やっぱり2度寝は気持ちがいい。次に起きたのが5:55。すでに空は明るく、もう6月なのに少し肌寒い。外は全く音がしない。頭の中がすっきりしすぎている。いつもの半分くらいの重さになったかなと思えるほど首から上が軽くなっていた。
東京から出ることに少し罪悪感もありながら撮影のために京都を訪れた。よく晴れた強い日差しの中、一日撮影をして次の日に高野山に来た。高野山は初めてだ。高野山という土地の名前は時々耳にするが、はっきりとどんな場所かはあまり知らない。普段は外国人が多い観光地だそうだがコロナの影響もあり平日の寺町には片手で数えるくらいの日本人観光客しかいない。この時期は虫の音も聞こえないので町がとても静かだ。この静かさが霊感の全くない僕にも不思議なパワーを感じさせる。1200年前に空海がこの地を修禅の道場として開いた日本仏教における聖地。この歴史の話を聞いたら町が更に神秘的に見えてきた。
今回は宿坊に泊まっている。当然ながら食事は精進料理。命があるものは口にしない。インドのベジタリアンを思い出す。夕飯は思っていたより美味しくて、ご飯を2杯も食べてしまった。野菜の味でご飯を食べるってあまりないけど、ここの料理はご飯が進む。18:00からの夕飯が終わると特にすることがない。部屋で撮影データの作業をしていたが、頭が冴えまくりすぐに終わってしまい、普段は24時くらいに眠りにつくけど、この日は自然と22時には寝てしまった。とても深い解放された眠りだった。
5:55に起きて顔を洗い、のんびり着替えをし、本堂に向かう。お線香の靄のなか朝日が差し込む様子は絶景だ。しーんとした静けさのなか、朝の勤行が始まった。たっぷりと睡眠をとった僕の体に読経が染み渡る。正直何を言っているか正確にはわからないけど、お経のリズムが落ち着く。お坊さんの声って低くて渋くてかっこいいなぁって思っていたら、護摩祈祷がはじまった。護摩祈祷とは香油を塗った護摩木を焚いて祈願する真言密教の秘法。パチパチと音を立てて高く燃え上がる炎、金剛鈴の音、仏具が触れ合う金属の音。目を瞑り、耳をすまし、些細な音も聴き逃しさないように集中していた。音がとても綺麗だ。僕はコロナウイルスの早期終息を心から願った。
朝のお勤めの後、待ちに待った朝食の時間。昨日の夕食から12時間以上たっているので流石にお腹がすいた。朝ももちろん精進料理。大豆ミートの甘辛煮がとても美味しく、またご飯を2杯も食べてしまった。朝食を終え、天気予報の午後からの雨に備え、早めに宿坊を後にした。目的地は、空海が入定されている奥之院の御廟。今はまだ7:30。