Nobuto Osakabe Photographer

vol.26 奥之院

高野山の「奥之院」についたのは、朝の8時前だった。
目覚めたときには明るかった空も、急に雲が増え、一段と暗くなった。この日の奥之院には人っ子一人いない。普段はどれくらいの人がいるのだろうか。誰も人がいないと少し心細く思う。この世の人間が僕一人だけになってしまったのかとさえ思える雰囲気がそこにはあった。
奥之院には3つの川がある。「現世」「来世」「浄土」の境界をこの3つの川が象徴していて、一つ目の橋「一の橋」をまず渡った。ここが奥之院の入り口。橋を渡った途端にザーッと雨が降ってきたけど、幸い奥之院の参道には杉の木が群がって生えているので、そこまでは濡れない。至るところで樹齢何百年の木が威厳を漂わせている。なんとなく木に触れてみた。あたたかいような冷たいようななんとも言えない肌触り。一の橋から空海のいる御廟までの約2キロの参道には、おおよそ20万を超える墓石や祈念碑、慰霊碑が並んでいる。誰も人がいないし、暮石ばっかりだし、とてもおどろおどろしい。写真をのんきに撮れるような場所ではなかった。随所に大きくて苔がびっしり生えた古い暮石がある。誰もが知っている戦国武将たちの慰霊碑だ。どことなくオーラを感じる。敵対していた戦国武将たちの慰霊碑が敵も味方もなく奥之院の敷地内には並んでいる。生きている時は争いをしていても、死後の世界ではみんな平等という高野山の寛容さがみえた。
更に参道を進み2つ目の橋「中の橋」に着いた。ここを流れる川は、死の河、つまり三途の川を表していて、この橋を渡るとこの先は死の世界に入ると言われている。はっきり言って一の橋からすでに死後の世界を感じていた。ここまで誰にも会っていないし、時折見かけるお地蔵さんが赤い帽子や涎かけをしていて、急に人が現れたと思い心臓がキュッとなったりしていた。
中の橋を渡り、汗かき地蔵尊を通りすぎ、そのまま進んでいくと3つ目の橋「御廟橋」が現れる。御廟橋を渡るとその先に燈籠堂、更にその奥に大師御廟がある。ここは奥之院という聖地の中の聖地。橋から先は一切撮影禁止。写真を撮らないと目に焼きつけるしかないので、必死で覚えようとしてしまう。少し緊張しながら進み、燈籠堂に着くとお坊さんが護摩焚きをしていた。1000年以上燃え続けているという「消えずの火」が2つ燈籠堂にはある。消えずの火と護摩焚きの炎をぼーっと眺めていた。すると若いお坊さんたちがぞろぞろと入ってきて、いきなり諷経が始まった。燈籠堂に響くお坊さんたちの声、護摩焚きの炎の音でなんだか浄化されていく感じがした。ふと外を眺めたらさっきまでの雨が突然止み、晴れ間が広がった。青空も少しだけ見え、清清しい気持ちになった。良い機会だと思い護摩祈祷を申し込み、「家内安全」「商売繁昌」を祈願した。この秋には2人目の子どもが生まれる。何事もなく無事に生まれてきてほしいと願う。安産祈願のお守りもちゃんといただいて燈籠堂の奥にある大師御廟に参拝をした。参拝後には燈籠堂の地下にある全国から献上された16000余りの燈籠の景色を見るつもりだったが、コロナの影響で入ることができず帰ることにした。また来よう。
一度は止んだ雨も燈籠堂を出た途端に本降りになった。急いで中の橋まで戻り、バス停に向かう。タイミングよくバスにすぐ乗ることができて、町中に戻りどこかで休憩でもしようかと思ったが、まだ朝の9時をまわったところ。どこも空いていない。あてもなく歩いていたら徐々に雨が弱まり、また晴れ間が見えた。不思議な天気だ。どこから現れたかわからない2羽の燕が楽しそうに大空を飛び回っていた。