Nobuto Osakabe Photographer

vol.33 家族の時間

1ヶ月ぶりに家族に会った。
今までも家族と離れることは何回もあったけど、1ヶ月という期間離れているのは初めてだと思う。1ヶ月会わないと子どもの成長をすごく感じる。話す言葉の数が増えていたり、ちょっとした仕草だったり、変化をあげたらきりがない。毎日見ていても飽きないくらい子どもの観察はおもしろい。
今は物理的に離れていても近くに感じることができる。インターネットさえつながれば、世界中のどこにいても顔を見ながら話をすることができる。今年1月に行ったインドからも、昨年年末に行ったイタリアとロンドンからもLINEのビデオ通話で家族の顔を見ながら話すことができた。普通に便利なツールとして使っているが僕が子どもだった30年前を思えば、ものすごい文明の進歩だ。当時は国際電話しか連絡手段がなかった。
僕が初めて海外に行ったのは小学校5年生か6年生の時。当時サッカーをしていて地域の選抜チームに入っていた。そのサッカーの遠征で韓国に行ったのが初めての海外だ。その選抜チームは国内の遠征が多く、バスや新幹線を使っていろんなところに行って試合をしていた。そこにはもちろん家族はついてこない。だから親と離れる経験が少なかった訳ではなかったけど、韓国に行った時のことは鮮明に覚えている。まず、初めて飛行機に乗った。そして日本語が通じない場所に行くのも初めてだった。その遠征は韓国人選手のお家にホームステイするのだけど、文化が違いすぎて衝撃というかショックな気持ちが大きかった気がする。言葉が通じないのはもちろんキツかったけど、何よりも食事が一番辛かった思い出がある。今では韓国料理を食べる機会があるけど、子ども頃は韓国料理なんて食べたことはなかったし、韓国料理特有に匂いや辛さが得意ではなかった。また、韓国の家で出してくれたお米は日本のお米と比べると全く美味しくなかった。朝食の時、食卓にはキムチや辛いものがたくさん並んでいて、僕は箸をつけることが出来なかった。それを見かねたホストファミリーのお母さんが冷凍のフライドポテトをチンしてくれた。それでも朝からフライドポテトとご飯なんて食べる気にならなくて、ご飯を全く食べずに試合に向かった記憶がある。何泊かその家に泊まったのだけど、かなり早い段階でホームシックになっていた。たしか一度だけ韓国のホームステイ先から日本にいる家族に電話したことがある。その時になんの話をしたかは全く覚えていないけど、細い電話線が日本まで繋がっていて、その線の先に家族がいると想像したら少しだけ安心した。顔は見えないけど、電話口から聞こえてくる家族の声が僕をどれだけ勇気付けたことか。数日間家族の顔を見ないことが辛いと思ったのは初めてだった。その時にLINE電話があったら少しは違ったのかなぁなんてふと考えてしまう。
インターネットのおかげで顔を見て話すことはできるけど、やっぱり実際に会って一緒の空間にいることは特別なことなんだと最近思う。仕事ではリモートでの対面が多く、深く人と接することが少なくなってしまった。コロナで人との関わり合いが淡白になっている。でもその分家族との時間が増え、家族との濃密な時間を過ごせるようにもなった人も多くいると思う。我が家は今は離れて暮らしているので、家族で一緒にいられる時間に限りがある。だからこそ一緒にいる時間が愛おしく思えた。幸いあと半月もしたら家族が戻ってくる。家族4人での新しい生活がスタートする。今はひとりで静かなこの家がだいぶ賑やかになりそうだ。多少の不安がないこともないけど、新しい生活を待ち遠しく思う。